47-5 扉を開く
47-5 扉を開く
扉を開くということは魂の段階が上がると言うことである。それは、意識レベルが上がるということである。扉の話は幾度か繰り返された。
『皆様の前に扉が幾重にも幾重にもあります。本当に運命の扉というものがありまして、一つの扉を開くと次の扉へ、また次ぎの扉へと、どんどん扉を開いていって自分の中のものを見つけ出して、現わしてゆくわけです。
私達はまず第一に、自分は神の子であり、光り輝いているものだということを信じて、中にある素晴らしいものをどんどん引き出して、早く幾重にも幾重にも重なっている扉を開いて、神様の世界、完全円満なる愛の世界へ到着すること、それがこの世界平和の祈りではないかと思います。』(76-10)
これは40年以上も前の法話である。この扉を開く作業がコツコツとつづけられた。そして、とうとう最終段階に至ったのである。説き方に少し違いがある。当時は、『神様が、守護霊様守護神様が、統一会に参加していらっしゃる間に、一緒になって扉を明けて下さり、中の素晴らしいものを引き出して下さり、自分の道の扉が開いてくる』(76-10)というように、個々人の真理の実践より守護霊守護神の働きが強調されていた。
東日本大震災直後、『ドアは開かれた』と宣言された。その時の変化については次のように語られる。
『今までの人類の前には“不可能”という大きな壁が立ちはだかり、人類は自らの存在を価値がないものと思い込み、信じ込んでいた。が、これからは全く異なる世界が現われるのだ。今こそ立ち上がる時だ。我々が祈りや印、言霊で自らの神性を発揮し、人類に示すその時が来たのである。我々の使命感は、世界人類が平和になることのみである。究極の真理とともに生きる喜びに多くの人々が目覚めるよう働きかけ、世界平和を創造してゆく。』(11-07)
「神人が立ち上がり、神性を発揮し、人類に示す時が来た」。神人の時代到来が高らかに宣言されている。また、使命感が重要とされている。その後2106年に、新たな扉が開いた。
『潜在意識に真理の言霊を入れ込み、記憶の奥に眠っていた神性意識の扉を開くのがうちの会なのです。皆様はすべてが網羅された真理を実践し、潜在意識に入れ込み、自分の力で、自分の努力で、自分の忍耐で、逃げずに神性の扉を開けたのです。』(16-06)
こう宣言された後、2016年7月には富士聖地に五次元の扉が開いた。五次元の扉とは神性の扉のことである。2019年新年祝賀祭、この扉について次のように再び変化が起こった。五次元との交流が決定的となったということだろうか。
『今年はすべてを平和に導くことが出来ます。全人類の意識を変えることが出来ます。いよいよその第一歩が始まるのです。(中略)これまで地球は、鉄のような扉と壁に取り巻かれた、開かずの間の状態でした。昨年のご神事と今年の年初のご神事を通して、この固い扉がわずかに開いたのです。そこからサーッと、まさに天の奇跡と呼ぶべき光が一瞬の間に入って来たのです。これを私は受け取りました。参加者、世界中の会員さんたちにも、すべてその光は飛んでいったのです。』(19-02) 2
47-4 21世紀という時代2
47-4 21世紀という時代2
思い起こせば、1990年代、21世紀は20世紀とは全く異なるとしばしば説かれた。21世紀になった途端、大きな変化があったわけではない。しかし、この20年を振り返ると大きな変化の渦中にいたことに気づかされる。今回は20世紀末において、21世紀はどのようになると説かれてきたのかを顧みる。
『二十一世紀、国民一人一人がしっかりと国を管理し、社会を管理して行くほどの責任を担ってゆかねばなりません。人類一人一人、自らが持つ無限なる才能を開発しなければならないのです。』(98-04)
『二十一世紀は、神人たちがまず率先して神の姿を顕現し、人類に示してゆく時代になるのです。神人らが語る髙い高い宇宙の言葉こそ、二十一世紀の地球を築きあげてゆくのです。』(98-09)
『二十一世紀は国も無ければ、民族も宗教も全く超え、何ものにも束縛されず、影響を受けず、自由自在に本人の意志のおもむく場で生きてゆく時代です。』(98-12)
二十一世紀は個の時代になると説かれている。個は自立する。個は選択―決定―責任に基づいて生きるようになる。
『二十一世紀は精神文明、霊文明の時代へと突入してゆきます。』(99-01)
20世紀の『選択・決定はすべて物質を中心にして行われていました。自分の利害損得によって一瞬一瞬の選択が行われていました』。それが、『一人一人が内なる能力をどれだけ発揮させたかによって』(99-01)評価されるようになる。価値観が大転換するということだ。
『二十一世紀はもう神に懇願し助けを乞う時代ではありません。人類一人一人が自らの力で自らの運命をコントロールできる時代です。』(99-02)
『二十一世紀は神人が大いに活躍する時代となります。』(99-04)
『地球は二十一世紀には次元が上昇します。
二十一世紀において人類を指導してゆくのは、宇宙神より選ばれた神人たち、まさに我々でないでしょうか。』(99-05)
『二十一世紀には、霊資源が地上に降ろされることでしょう。人類の欲するものすべてが人類一人一人に自然に行き渡る。
人類の目的が全く違ったものに変わってくるのです。物質を手に入れる、物質を貯える、物質を好む世界から精神を重視する世界へと移行していきます。
物質、想念、言葉、魂のエネルギーがすべてクローズアップされ、人類一人一人が皆、自らのエネルギーを自由自在に駆使して、自分の願うことを実現してゆくのです。』(99-06)
20世紀までは物質文明であった。人類は物質の力、物質資源を駆使して欲望を満足させる文明を築いてきた。それが、精神文明、霊文明に移行するのである。物質エネルギーを制する者が世界を制する時代は終わる。内なる神力を発揮する神人たちが人類の指導者として活躍する時代になる。
47-3 21世紀という時代
47-3 21世紀という時代
毎年の白光1月号を見ると、その年の新しい変化について語られることが多い。それらをつなげて、ここ20年ほどの歴史を顧みることにする。
2000年を迎えて、宇宙神からメッセージが届いた。
『汝らは今年より驚くほどの素晴らしい輝かしい人生を送ることになる。そして、汝ら自身も信じられぬほどの幸せな人生が展開してゆくことになる。これらはすでに定められている。すべての難題を次々と覆してゆくような内なる無限能力が湧きあがり、汝らの心から一切の不安、恐怖、二元対立が消え、人類に光り輝く神人の姿を現わしはじめてゆくからである。』(00-01)
神人が神人の姿を実証して、人類の神性開発が促されてゆくようになるというヴィジョンが明示された。以降、このヴィジョンが具体化されてくる。
2001年、21世紀の始まり。『神人の世の到来』と宣言された。世紀の違いは、人間の価値観が変わることだと言われる。物質文明の価値観から、精神文明、霊文明に移行する。『21世紀は霊文明の幕開けである』(01-01)。文明を支えるエネルギー源は、石油、原子力でもない。印と言霊である。
『21世紀は個の時代である。個を確立し、個に徹することが一番である』(02-01)。問題の発端が人間の尊厳の喪失ならば、解決策は尊厳の回復である。問題の核心は人類一人一人の選択と決定、責任にある。
2003年元旦、『過去のすべてを一掃し、人類一人一人それぞれが、自分自身を取り戻す時がついにやって来た』と宣言された。過去、固定観念から解放され、人類は「我即神也」の本来の姿に戻るのである。21世紀は、『意識変革の時代』である。『人類一人一人は確実に、国、民族、政治、宗教、また聖者や権力者への依存から脱し、個の確立へと目覚め始めた』(04-01)。2005年には、『真理が実証可能な時代に入った』(05-01)。『2006年、人類一人一人がはっきりと個の自立を果たす時が来たのである。自らの責任において、自らが選択、決断、決行するのである』(06-01)。『2007年1月より、人類すべてが一変する。宇宙の大きな力が生命力が地球を取り巻き、次元上昇を試みる』と言われた。『2008年より、世界各国各地にて、SOPPの開催が許される』ことになった(08-01)。
2009年には、富士聖地は四次元に達し、果因説の共磁場が創られた。そして、この年のから、7月大行事は『果因説の共磁場を創り上げる神事』(09-01)となった。2010年、『輪廻転生説、因果説が突如として覆された』。『二十一世紀、人類はみな果因説に向かって、人生の方向転換を計る時に至った』(10-01)。『2011年、いよいよこれから神人群団の大いなる働きが始まる』(11-01)。『日本国が世界人類を代表して未曽有の東日本大震災を引き受け、“神性復活”を宣言するに至り、天から天降る生命や叡智の流れが回復した』(13-01)。
2014年には、『宇宙神の根源に汝らは直結した』(14/01/12)と宣言された。2015年には、富士宣言が発表された。2016年には、富士聖地は五次元の場となった。2017年には、神性復活目覚めの印が降ろされた。2018年、宇宙子科学の再開が宣言された。
47-2 忖度してくれる神はいない
47-2 忖度してくれる神はいない
『人類一人一人はあくまでも自らの内に神を認め、神を顕してゆくことこそがわが天命であると、強く深く理解できた瞬間、あらゆる不幸、苦悩は消え去り、自らの内なる無限なる真理、無限なる叡智によって、自らの無限なる幸せ、無限なる繁栄を築き上げてゆくのです。』(99-04)
神の姿を顕すとは、宇宙神の神愛と神力を受け取っている自分を認めることである。富士聖地の五次元共磁場に蓄えられたエネルギーは膨大である。そのエネルギーは滾々と溢れ出した。神人の特権は、そのエネルギーをいくらでも使っていいということである。無限なるエネルギーは神人が自由自在に使うためのものである。
遠慮する者は謙虚に非ず。自らの神性を否定するに過ぎない。自らの天命を辞退するに過ぎない。自らを神と認める者は、自らの選択と決定によって、自らの創造力によって、自らに神の姿を顕す。その顕われた神の姿が人類を神性復活に目覚めさせてゆく。真理を学ぶ段階は過ぎ去った。真理とは受け取ること。真理とは望む姿を顕すこと。真理とは本来の姿を顕すこと。真理とは自らの内在する神を崇拝すること。自らの内在する神は神性そのもの、神力そのもの、光そのもの。
『私』は神そのものである。真理そのものである。叡智そのものである。生命そのものである。『私』は光を形に顕わすもの。『私』は神だから、望むことをすべて実現してしまう。『私』は神だから、望まないことを体験することはない。今までは、その自分の崇高さを見失ってきたにすぎない。しかし、すべては赦された。癒された。自らの神性によって。今後は、神の姿だけを顕してゆくのである。
『私』は世界平和の祈りを与え、“我即神也、人類即神也”を与え、印を与えてきた(99-04)。その陰徳は聖徳と化して、富士の共磁場に蓄積されている。『“自分が与えるものが自分に戻ってくる”のが、宇宙の法則、真理の法則です』(99-04)。共磁場のエネルギーが押し付けられるように、『私』に戻ってくるのである。
“戻ってくる”と言うものの、外なる神が『私』の意を汲み取り、忖度して何かをしてくれるわけではない。“戻ってくるもの”は我々の意を通して戻ってくるのである。意識の選択、決断、決行を通して戻ってくるのである。意を外なる神に忖度してもらうのではない。意を明確に宣言し、イメージし、神性復活の印の動作に込めるのである。それによって、自らの意が実現するのである。それが、自分自身が神であり、創造者であるということである。絶対に、自分の意を忖度してくれる外なる神を想定してはならない。五井先生は真理と慈愛
の神であり、忖度してくれる神ではない。忖度を期待するのは甘えである。いつまでも甘えていていいわけではない。すべては、自らが神としての創造力によって、築き上げてゆくものである。自分の姿はすべて自分の責任で創造してゆくもの。
『喜びと幸せと平和な未来を皆様が築くのです。それは神様が与えてくれるものではない。自らの意識が創造していくのです。』(16-03)
2019/02/03 宇宙究極の光を降ろす行事 会長法話のメモ
祈りというのは、自分自身の神性を開くためのもの。願望達成ではないのです。
私が与えるのは希望です。自分で出来るのだという信念のみを与えてきた。
私たちは今日まで教育、科学、政治、宗教、人物伝を通じて知識、常識、生き方を身につけてきた。過去から学ぶことは必要である。しかし、現代のように目まぐるしく大きな変化の時代、予測不可能な時代においては、過去からの学びだけでは不十分で対処しきれなくなる。
果因説の時代が来たのです。
時代に先駆けて未来の解決策が富士聖地に降ろされている。
神性復活目覚めの印が神示として降ろされたのです。
人類の今までのように神や他に依存せず、自らに神性を発揮させ、自らが自らの光輝く人生を創造して行ける。それが人類の最終的なミッション、印である。
他の人のために組んだ印の徳はすべて自分に戻ってくる。
皆様の陰徳は既に宇宙神に直結して届けられた。皆様方の人生は自分が驚くほど輝きを増し、周りの人々より感謝の畏敬の念が捧げられて行く。