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46-8  五次元の扉  その2

46-8  五次元の扉  その2

 前回(46-7)のテーマの一つは、五次元世界とはいかなる世界かということであった。五次元世界では『自分自身が神性そのものであるということをふっと思い出す、思い出さざるを得ない』(16-09)と説明されている。この一文に少しの言葉を補うことによって、意味が鮮明になって来た。それは次の言葉であった。

「三次元では過去をふっと思い出す、思い出さざるを得ない。」

 過去には否定的感情想念が絡みついている。過去を思い出す度に、否定的感情想念を遣わざるを得なかったのである。

この過去を摑むのではなく、一人一人の神性を摑むというテーマは最重要である。

もう一つ、別の言葉を補ってみよう。

三次元では、神性が否定されている。したがって、『自分に力があるとは思えないから依存するのです。頼らざるを得ないのです』(17-11)

意味を逆にすれば、五次元では、「自分の神性を思い出すから、自立せざるを得ない。自分の叡智ですべてが可能である。不可能はない」となる。このテーマは、「依存から自立へ」と言うことである。これもまた重要なテーマで、白光誌では何度も繰り返されている。

更にもう一つ、別の言葉を補足してみよう。

『低次元レベルの意識では、常に二元対立の世界を生きるしかないのです。要するに、他との比較によって自分の価値を見出さざるを得ないのです』(99-09)。

三次元では、自他の神性が認められない。罪を見出さざるを得ない。自分の存在価値は他との比較をしない限りあり得ない。必ず優劣のある世界で競争する。つまり二元対立の世界で生きるしかない。劣勢を認めれば、優れた人に媚び諂い、依存する。優勢を認めれば差別、偏見、高慢を露にする。常日頃、人はみな『人より優位に立つこと、人より物質を多く持つこと、人より高い地位につくこと』(99-09)を想い、考え、望まざるを得なかった。二元対立だから、常に「批判、非難、評価を下しつづけざるを得なかった」。

四次元に至る段階では、「批判、非難、評価を下すこと」を慎む訓練が必要であった。五次元世界では、自他の神性を思い出すから、自他を尊敬せざるを得ない。自分の存在価値は自分の神性にあることは自明の理である。存在価値のために何かすることなど一切ない。神我一体感、自他の一体感が湧き起ってくる。物質の力ではなく、神力の凄さ、つまり自己に内在する力に感謝せざるを得ない。それを発揮せざるを得ない。

この「二元対立、存在価値、比較、批判非難評価を下さず」というテーマも白光で繰り返し語られたことである。白光で繰り返された真理は、繰り返し行われてきた。繰り返し語られてきた。それは各人と富士聖地の共磁場に蓄積されてきたのである。それが溢れんとしているのである。神人はその共磁場にアクセスすることによって、この五次元世界を体験するのである。この物質世界で。

2018/12/12

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46-7 五次元

46-7  五次元

 そもそも白光で四次元、五次元というのは物理学でいう高次元と明確に対応しているものではない。むしろ、それは比喩的なものである。三次元的思考では、現象界がすべてであるとする。四次元的思考では、現象世界に関わらず、真理は「我即神也、人類即神也」そのものである。現象を超えたところ、即ち四次元のところに真理がある。

三次元から四次元に至るプロセスとして、「消えてゆく姿」がある。「現象世界に関わらず」ということは、現われたものはすべて「消えてゆく姿である」という真理に基づいている。それを一挙に現象すべてと言っても、無理な話である。そこで目の前の体験一つ一つを「消えてゆく姿」としてゆくのである。それに加え、究極の真理「我即神也、人類即神也」を想い、言霊に発し、印を組むのである。言葉想念行為に神性をズバリ顕わすに先立つことがある。先立つこととは、祈り・言霊(言葉)―観念(想念)―印(行為)で真理を表現することを継続することである。過去はないという現象を否定する。そして、自他の神性を宣言する。それを神人たちは平成の時代つづけたのであった。

その結果、五次元の扉が開かれた。神性顕現に先立ってなされた祈り・言霊―観念―印のエネルギーが共磁場に蓄積されていったのである。共磁場のエネルギーが臨界点を超えた。それで、五次元世界の扉が開かれたのである。五次元世界では『自分自身が神性そのものであるということをふっと思い出す、思い出さざるを得ない』(16-09)のである。今まで、三次元世界で「過去をふっと思い出す、思い出さざるを得ない」状況であった。それによって、過去を思い出し、選択の基準にせざるを得ない人生、因縁因果の人生が続いていたのである。それが自分の神性思い出し、選択の基準にせざるを得ない、果因説の人生が続いてゆくのである。

もう一つ五次元の特色がある。『(共磁場に蓄えられた)エネルギーは人類に分かち合えると同時に、全部自分のものです。自分が放ったものだからです』(16-09)。神性の冷蔵庫が使われるのを待ちに待っているということである。冷蔵庫は宇宙神に直結しているのである。「消えてゆく姿」というこの世の生活の対処だけでは不十分。神性顕現に積極的に励みなさいということである。

神性顕現のために必要なのは果因説である。その一つにイメージングがある。イメージングが苦手な人は言霊を繰り返せばいい。キーワードは『成就した』である。

『叶わないところに意識が集中しているから、“00が叶いますように”なのです』(08-08)。お願い形式の祈りはプロセスである。“世界人類即平和也。我即神也。人類即神也”という断定の宣言こそ真の祈りである。

『自分は神と一体になった。成就した。すでに願いが叶った』(08-08)。これをイメージする、もしくは、言霊として唱える。大成就も成就したことを意味する。この際、大事なのがいわゆる、第二次想念である。第二次想念がブロックしがちになる。だから、『本来不可能はない。私たちは神といつも一緒で、何でも創造できる』(08-08)も合わせて唱える。

    白光誌08-08は富士聖地2008/06/08の法話

46-6 成就への道

46-6 成就への道

 『第一次想念で自分の願いや望みが発動される時の、私は何かをしたい。そして第二次想念がそれを引き継いで受け取っての、私は出来る。』(95-10

 想念には第一次想念と第二次想念がある。第一次想念として願い望むことは誰にでもできる。成就できる人と出来ない人との違いは第二次想念にある。第二次想念が否定的想念になりがちである。それが第一次想念をブロックしてしまう。それは『過去の苦い経験から引き起こされている場合が多い』(95-10)

 本来の神としての人には、『私が思ったことはすべて出来る。私には不可能なことはない。絶対に可能なのだ。可能にして見せる。私が望むこと、願うことは必ず出来るのだ。そのために私はやる。全力をかけてやる、という強い自信に満ちた想念が存在し、備わっているのです』。つまり、常時『常に必ず出来る。絶対に可能なのである』(95-10)という想念に満ち溢れる状態が人間の本来の姿ということである。本来の姿ならば、人生は思った通りに運ばれてゆく。これは『想いの法則』と言われる。別の面から言えば、人間には無限なる創造力があるということである。言霊の力も同様である。人間の無限なる創造力の異名なのである。

 不可能にするのは自己限定の想いしかない。自分の神性顕現をブロックしているのは、自分の過去の想い、意識だけなのである。くせ者なのは宗教観念である。

『まだ自分はその段階ではない。もらえる段階ではない』(14-09)、という思い込みである。『自分はそれに値する価値がない』、『自分にはそんな資格がない』(13-09)という過小評価である。謙虚さのつもりが自分の神性顕現をブロックしてしまうのである。他人の家に行って冷蔵庫の中身を勝手に持ち出そうものなら、無論のこと非常識である。しかし、人類は自分の家の冷蔵庫の中身を活用しないという無知に陥っているのである。人類は自分の神性は認めない。それよりも自分の過去の誤りを摑んでいるのである。

 確かに否定的なものが詰まった冷蔵庫がある。しかし、もう一つの『冷蔵庫には、無限なる愛、無限なる叡智、無限なる直観、無限なる能力、無限なる可能性、、、、それらが全部入れ込んであります』。つまり、富士聖地の共磁場、個々人の共磁場には神性だけが無限に眠っているのである。使われるのを待っているのである。その神性が顕現することによって人類は平和に導かれてゆくのである。自他のカルマを浄めるという観念より、自分が率先して冷蔵庫を開けることが求められている。カルマの冷蔵庫と神性の冷蔵庫は別物なのである。カルマの冷蔵庫が空っぽにならない限り、神性の冷蔵庫は開かないと考えるのは自己限定である。

 神性復活までは、過去を思い出さざるを得なかった。罪を思い出さざるを得なかった。しかし、それらは神性の顕われる以前の陰に過ぎなかった。すべては赦されていた。自分が掴まない限り過去はなかった。それが、五次元になって、『自分が神性そのものであるということを、思い出さざるを得ない』(16-09)ことになったのでる。

13-0913/07/07   14-0914/07/06   16-09:16/07/03大行事

46-5   形の場(共磁場)2

46-5   形の場(共磁場)2

 富士聖地に創られる共磁場には種々な表現が使われる。「大光明の共磁場」(06-10)、「光の共磁場」(06-12)、「真理のみのエネルギー情報体」「真理のみのアカシックレコード」「真理のみの情報フィールド」「宇宙空間のポジティブな共磁場」「宇宙神直属の神域」「究極の真理が溢れている共磁場であり、情報フィールド」(07-04)、「宇宙的バイオフィールドの磁場」(07-10)等である。また、反対概念にもいくつかの表現がある。「固定観念の共磁場」「因縁因果の共磁場」「ネガティブな共磁場」(07-04)等である。

 共磁場は次の文脈で語られる。

『科学における物質エネルギーの法則に、二十一世紀の宇宙意識の生命エネルギーが組み込まれることによって、新たな世界へと転換されてゆく。そして、宇宙空間は決して空虚ではなく、宇宙意識エネルギーに満ちあふれているという事実を人類一人一人が認識することによって、世界は大転換を遂げてゆく。』(07-04

 意識(想念)エネルギーの共磁場は宇宙子科学の中心的な概念なのである。そして共磁場には次のような大きな働きが備わっている。

 ある臨界点を超えると、『真理のみの情報フィールド自体が自然発生的に宇宙究極の大生命エネルギーを吸収しはじめ、地球の磁場そのものを上昇させ、さらに勢いを増し、ついには人類一人一人にその影響を及ぼしてゆくまでになる。いわゆる人類一人一人が真理に目覚めてゆくその瞬間に至るのである。 中略   神人一人一人は個のいかなる願望であっても、自らがあえて望まなくても、その奥に隠れ潜む望みであってさえも、最善の結果を受け取れるのである。』(07-04

 神人たちは祈り等によって、大光明の共磁場に光のエネルギーをプールしつづけている。それが臨界点に達すると、蓄えられたエネルギーは人類に、同時に神人に能動的に働き始めるというのでる。2012年には、次のような段階に入った。

『ついに、神人一人一人が地上から発した祈りと真の言霊が臨界点を超え、とうとう天に存在していた本来の真理の世界につながり、そのまま真理の世界が神人一人一人の人生にも降り来ることになったのである。』(12-08

20167月に五次元の扉が開いたと宣言された。それは、この共磁場の新しい展開が宣言されたのであった。それについて、次のように説明されている。

 『自分自身が神性そのものであるということをふっと思い出す。思い出さざるを得ない、それが五次元なのです。  中略   皆様が言霊を唱えつづけてくださったことで、そのエネルギーはもうすでに地球に蓄積されている。   中略   そのエネルギーは人類に分かち合えると同時に、全部自分のものです。自分が放ったものだからです。』(16-09

 両サイドからトンネルを掘っていると何時かつながる。それと同様に、天からの光と、地の祈りの光がいつか繋がる。五井先生はかつて、そんな話をされた。それはこの五次元の扉の例え話だったのである。2019年から、神人たちはこの五次元を体験し始めるのである。

46-4  一にも二にも

46-4  一にも二にも

 白光誌では「一にも二にも、、、」という強調表現が使われることがある。余程のことが書かれているはずである。同じように、「一にも二にも三にも」「、、、、四にも」がある。何と、最大では「、、、、十にも」までの表現がある。中国の古典には「春秋の筆法」というものがある。同じ死亡記事でも、規則を知る人が読めば、病死、老衰、暗殺等という死因が分かるというものである。白光誌はそんな人知によって書かれたものではない。神智によって書かれたものである。上の表現は単に強調表現と受け止めればいい。いささか戯れ言かも知れないが、白光誌で重要とされていることを再確認してみる。

先ずは「一にも、、、十にも」の文章である。今後の人類的危機を食い止めるためには、『一体我々神人はどうすればよいのか。それには、一にも、、、、十にも人類の意識変革のみである』(11-10)。その解決は「我即神也」「人類即神也」である。それが個人の幸福と世界平和につながる。

次に「、、、七にも」の文章である。究極の真理「人類即神也」を含んだ『DNAを自由自在に働かせるものは、、、、七にも究極の真理、即ち大光明の意識のみである』(08-09)。『世界平和と人類の幸せは、、、、七にも、、、ただただ人類の心にかかっている。人類はみな一人残らず、自らの魂の中に神性を見出さねばならないのである』(05-06)。「自らの魂の中に神性を見出す」とは究極の真理「我即神也」のことである。

次は「、、、四にも」である。『輝かしい叡智を駆使して真の地球平和、人類の幸せを築き上げ、創造することも出来る。そのためには、、、、、四にも、人類はみな一人残らず、究極の真理に触れることだ。それは自らに内在せる天賦の無限なる才能に気づくことである』(06-01)。『善人になるためには、、、、、四にも祈りそれしかない』(93-07)。『人類一人一人が今生にて学ぶことは、、、、四にも、すべて否定的感情想念を心から排除してゆくことだけである』(01-12)。究極の真理に目覚める方法は祈りである。その導入には「否定的想念の排除」が重要である。

次は「、、、三にも」。『自分が得をする人生を勝ち取るためには、、、、三にも金です』(99-01)。ここでは物質優先主義の価値観を表現するために、この強意表現が使われている。

 一番多用されているのは「一にも二にも」である。

 『人それぞれが、それぞれに与えられたミッションを完うしつつ、その目的に沿って生きるためには、一にも二にも自らを磨くことである』(03-04)。

 『生命が輝けば健康など意識にとどめることはない。そのためには、一にも二にも、真理を知ることである』(03-06)。

 『宇宙の創造者と自からの内なる創造者とは全く一つに結ばれている。そのために我々がすべきことは、一にも二にも、絶対なる真理を信ずることであり、聖なる自分を信ずることである』(03-11)。

『世界平和、人類の幸せのためには、一にも二にも教育である。霊性、神性の教育である』(04-03)。

 『敵意、憎しみ、復讐の念を断ち切るためには、一にも二にも、真理を探究する以外にない』(05-04)。

 『幸せと感謝に満ち溢れた人生を過ごすためには、一にも二にも、究極の真理、世界平和の祈り、印を組むことである』(06-02)。

 概ね、この強意表現は「我即神也」「人類即神也」という究極の真理について語られることが多い。 

 

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